早稲田大学 理工学術院総合研究所 Research Institute for Science and Engineering

流れがかかわるあらゆる産業の基盤を支える流体数学 柴田良弘教授

1はじめに

空気の流れや水の流れなど私たちの周りには常に何らかの流れが生じており、私たちの生活を豊かにしている科学技術の多くは流れに関する問題を抱えています。例えば自動車・新幹線車 両・航空機などを設計する際には、まずは走行時・飛行時の空気抵抗を低減することが求められますが、それと同時に騒音問題の解決のため空力音の抑制なども重要な課題になっています。 また化学プラントや火力発電所などで は流体を如何に効率良く混合し反応させるかということが問題であり、ポンプ及びタービンなどの流体機器あるい は船体推進のスクリューなどはその作 動効率を高めると同時に、キャビテーションと呼ばれる現象を抑え、流れから受けるダメージを抑制することも課題となっています。更には近年話題となっている異常気象を予測するためには大気・海洋の流れを把握することが必要であり、また私たちの体の中をくまなく流れている流体(=血液)の流れを把握し制御することができれば、 医学の画期的な進歩につながることは容易に想像できると思います。

ガリレオあるいはニュートンの時代から、現象を理解し予測するためにはそれを支配する基本法則を見いだし、 それを記述する方程式を理論的に解析することが行われてきました。この理論解析は実験研究と対をなす科学技術の根幹であり、現在の科学技術の繁栄を見れば、それが現代社会においていかに重要な役割を果たしているかが分かります。なお、最近のコンピュータの急速な進歩により、コンピュータ・シミュレーションも第三の科学として注目されるようになってきました。流れの現象の中でも一番基本的で空気や水の普通の流れを記述する非圧縮ニュートン粘性の流れに関しては、その基本法則とそれを支配する方程式「ナヴィエ・ストークス方程式」が既に100 年以上も前に知られています。以来、その時代を代表する数学者がこの方程式の数学的な性質の解明に挑んできましたが、いまだに解の一意存在に関しても完全な解答は得られておりません。滑らかな解の時間大域的な解の存在については2000年にアメリカのクレイ数学研究所によって数学の主要な7つの未解決問題の一つとして100万ドルの懸賞金が掛けられました。研究室では、この世紀の難問の解決に向けて一歩ずつ研究を進めていくと同時に、高度に発達した現代数学 を武器に実際の流れを扱う流体研究者とも協働し、理論・実験・シミュレーションの3つの柱を総動員して科学技術における流れに関する問題に取り組んでいます。

2流体数学の研究

図1 剛体周りの流れの安定性の研究
図1 剛体周りの流れの安定性の研究
図2 自由表面流れの研究
図2 自由表面流れの研究

現在までに、スペクトル解析を基盤とする独自の方法を開発し、平行移動する剛体周りの流れの安定性、回転する剛体周りの流れの安定性など、米国スタンフォード大学の数学者 Robert Finn により1960年代に提唱されて以 来長年にわたって未解決の問題であった “ ナヴィエ・ストークス方程式の物理的に意義のある定常解の安定性”を示してきました(図1)。また作用素のR有界性(R-boundedness)と呼ばれる概念に基づく新しい方法を導入してストークス作用素の境界値問題に対する最大正則性原理を示しましたが、それによってナヴィエ・ストークス方程式の自由境界値問題の研究に本質的な新しい局面を開くことができ、特に その一意可解性を世界に先駆けて示すことができました(図2)。数学的には、今回新たに開発した方法は、従来は解析半群が生成されることを前提に最大正則性原理を示していたのに対し、解 析半群の生成と最大正則性原理の両方 が同時に示されるといった優れた特徴 を持っています。これはスペクトル問題の解をR有界である作用素によって表す方法を確立し、それと2002年に発表されたWeisの作用素値掛算作 用素理論を用いて最大正則性原理を示すことによって達成されました。12年以降、科学研究費補助金基盤研究 (S)を受けて研究を強化しています。 今後は、気体と液体などの異なる相が混在し、さらには表面張力、相変化、多成分の拡散と化学反応などを含むような複雑な混相流の問題に向けて取り 組んでいこうと考えています。

3流体数学の応用

このような数学の研究成果は、例えばその方程式に対して数学的に厳密な 数値計算結果を得ることができる可能性を示すものです。複雑な混相流など は現在の計算機能力をもってしても高精度のシミュレーションは難しいですが、数学の厳密な研究成果はそのような分野のシミュレーション技術の進展 にも寄与するのではないかと考えます。一方、ナヴィエ・ストークス方程式に基づく数値シミュレーションによって、さまざまな工業製品の設計が可能になってきているのも事実です。これはナヴィエ・ストークス方程式の現実問題に対する有効性を実証するものでありますが、その計算量は膨大で費用も高額であり、しかもそれだ けでは新しいコンセプトを生み出せるものではありません。これに対し、流れの根底にある数学を理解し流れを支配するメカニズムを知ることができれ ば、最適な設計がおのずと明らかにな る可能性があり、また実験観測や数値 計算だけでは思いつかないような独創 的な設計への道が開かれることも考え られます。更に、激しい流れによって水中に多数の微小気泡が発生するキャビテーションと呼ばれる現象など、ミクロからマクロにわたって幾つものスケールが混在する複雑な現象においては、それを適切に記述する方程式も確立されていないのが現状です。このような現象のモデル化においても数学の 果たす役割は大きいと考えています。

図3 キャビテーション気泡雲から放出される圧力波
図3 キャビテーション気泡雲から放出される圧力波
(提供:山本勝弘早大名誉教授よりご提供)

究者と流体工学研究者が協働して多重スケールの複雑な流体現象の解明に努力してきました。その中で、例えばキャビテーションによって生じる気泡雲の膨張・収縮 運動から強い圧力波が放出される様子を初めて詳細に観測し(図3)、それに基づいてモデル化を検討するなど、先進的な研究成果を得ることができました。また10年には早稲田大学重点領 域研究機構の支援の下、「非線形偏微分方程式研究所」を立ち上げ、数学研 究者と工学研究者の共同研究体制をより広く強固なものにしています。

4おわりに

CREST数学領域のプロジェクト
CREST数学領域のプロジェクト
「現代数学解析による液体工学の未解決問題への挑戦」

14年、文部科学省のスーパーグローバル大学創成支援に早稲田大学が選ばれましたが、我々の研究グループはその中核の一つです。ここでは、多重スケールの複雑な現象を実験グループと協働してモデルを提示し、これを解明 する数学を構築し、厳密な数学理論に基づいて数値シミュレーションを行うための教育カリキュラムを博士課程に構築し、国際協力の下、分野横断的かつ国際的に活躍する人材を輩出することを目指す大学院博士課程の教育・研究を行い、更にこれに参加する若手研究者や大学院生と共に新たに認識された液体現象における数学的問題の理論 解析を行うこと、確率論や変分法など従来とは異なる手法を応用して流体現象にアプローチすることによって流体工学における難問に挑戦すること、数学解析を応用した制御や最適化、化学反応や生物がかかわる流れの問題など、これからますます重要となる分野へも意欲的に取り組んでいきたいと考えています。

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